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浅草のシンボル雷門から歩くこと約5分。知る人ぞ知るご利益通り、たぬき通りに創業70年の「常寿司」が店を構える。遡ること昭和10年頃に、雷門通りに屋台を並べたのが始まりという老舗である。当時、寿司や焼き鳥、蕎麦、天麩羅、牛めしなど、100以上の屋台が所狭しと並んだ雷門通りは、歌舞伎や映画、寄席などを楽しんだ客や風呂上がりの粋な旦那衆が、軽く腹ごしらえする場所だった。夕方4時ともなると、一斉に屋台が開き、夜の11時まで賑わう。その頃の屋台を再現したミニチュアが店内に飾られているが、握る人が屋台の床に座る、今では珍しい様式で、初代小野次三郎は、女房のつねを従えて、1日中正座で、休みなく寿司を握り続けていたという。
戦後、衛生上の都合で寿司屋台が禁じられ、昭和23年に現在の場所に移転した。「親子三代での常連のお客さんはもちろん、屋台の頃から通っているという常連さんもいるんですよ」。白衣が眩しい三代目の上原宏史さんは言う。「昔は氷の冷蔵庫でしたから、今みたいに生ばかり扱えなかった。だから江戸前の寿司は、全てに手が加えてあるんです」。煮イカはプリッとした食感を残す絶妙な加減。アジもほんのりと〆てある。煮きり醤油がなされ、そのまま口にはこぶ。短気で見栄っ張りの江戸っ子のための職人仕事がそこにある。湯のみにも、古き良き時代の名残が漂う。おしぼりを出さない風潮だった当時、食後にあがりで指を洗い、暖簾で拭いて帰ったのだとか。「暖簾がよごれているうちは、店が繁盛していることだと言われていたそうですよ」。口の広い湯のみを眺めながら言う。
素材を厳選し、最小限の仕事を加え、目前で素早く握る。厳しい寿司職人の仕事と、粋でいなせ、意地っぱりの誇り高き江戸っ子気質を幼い頃から見ていた、と三代目。「初代はおっかない人でした。『旨いのは?』と聞かれても『全部』。手巻き寿司を頼むと『家帰ってかかぁに作ってもらえ』なんてね。孫にはやさしい昔のがんこ親爺ですね」と目を細める。今は、江戸っ子の古き食文化を伝えること自体が、新しく受け止められ注目される時代。「いつまでも修行は続きますが、江戸前寿司の温故知新を使命として、これからもこの浅草で、寿司を握り続けていきたいと思います」。江戸の職人魂は、ここ常寿司にもしっかり根付いている。
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