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1980年代の後半、ビール大国ドイツでビール愛飲家(Bierliebhaber)にとってこの上ない至福をもたらす生ビール注出 技術が広まり始めた。その技術の確立は今からかれこれ20年前の1985年まで遡る。その場所はドイツ中西部のライン・ルール工業地帯の真中にある炭鉱の街、デュイスブルク。ドイツでは日本村(経済バブル崩壊前は9千人を超えていた)とも言われるデュッセルドルフから車で30分程のところである。ディスブルクは今日の欧州統合の政治協議が始まった現場のひとつでもある。1951年4月18日、パリにおいてモンタン・ユニオン(Montan Union:欧州石炭鉄鋼連合)の署名式が行なわれた。当時、産業の米と称された鉄、「鉄は国家なりの時代」の炭鉱労働者も産業構造変革が予測されるなかでこのモンタンユニオンのお蔭で大量解雇の危機を脱することができた。50余年後の欧州が中東欧州・トルコまでを視野にいれた拡大EUになろうとは当時の欧州統合急進派の政治家とて思いも至らなかったであろう。80年代のデュイスブルクは、市内は炭鉱労働者などブルーカラーの居住地域で裕福な人々は郊外へ脱出という動きとなっていた。その街の炭鉱・鉄鋼労働者のビールの飲みっぷりは南ドイツの雄、ミュンヘンの飲んべーに負けてなかった。デュイスブルク駅前にちょっとおしゃれなビヤパブ“ケーニヒ・シティー(Koenig City)がオープンしたのが1978年10月。その7年後の85年のある日、そこの常連客のひとりが、85年のある日、いつもどおり「アイン、ケーピー、ビッテ(Ein KoePi)」とケーニヒ・ピルズナーを注文。
ケーピーとは、地元では、ケーニヒビールの愛称である。ホップの芳香・苦味と大麦モルトが生み出すボディとのバランスがよくとれたピルズナーである。クリスタルのポカール・グラス(300cc)に生クリームのように極め細やかな泡が盛り上がった生ビールが、ビッテ・シェーン(どうぞ)とだされる。この白く盛り上がった泡の王冠と泡持ちのよさは3回注ぎ手法にある。
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